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2011年 04月 19日
叔父の火葬
まるで心の中を見透かされたかのような、どんよりとした空で雨モード。
昨晩、母親や祖母や伯母は葬儀屋に泊まったようなので、直接現地に向かいました。

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新潟の方が、本当に親切にしてくださって、葬儀屋さんも事情が事情なので特別扱いで進行。
角田もうっかり喪服なんか忘れて行っちゃったので、始めてカジュアルな服で、しかも真っ赤なスニーカーで参加です。

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さすがに85歳のお婆ちゃんに泣かれちゃうと、もう言葉が出なくって沈黙。
母親も一番好きだった兄だったらしく、泣き声が止まる事はありませんでした。
伯母と自分と祖母と母だけの四人の葬式。
原発さえこんなことになってなければ、まだまだ生きてのんびりと生活できてたはず。
こんな現実が起きてたって、東電の上層部は自分たちの退職金のほうが大切みたい。。。


その後は、お世話になった新潟県三条市にある総合福祉センターに、お別れの挨拶に。

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ここのボランティアの人は凄く素敵な人達ばかりで、
叔父の訃報を聞いて、お花まで買っておいてくれてました。
一緒に大部屋で生活していた南相馬のご近所さんや
お婆ちゃんに毎日お粥を作ってくれていた人に挨拶をして東京に向かいました。
叔父の火葬_a0039916_0223192.jpg叔父の火葬_a0039916_0222237.jpg叔父の火葬_a0039916_022886.jpg
一日数メートルしか歩かない祖母を新幹線に乗せるというのはかなり緊張したのですが、
始めてのエスカレーターもこなし、無事に両親の家にたどり着く事が出来ました。
新幹線の中では、地震が起きてから5回も避難所をまわった経緯や、
極寒のバスの中で2日間じっと耐えていた事、避難所のプライベートのない生活など聞いたら
血を吐いて死んでしまった叔父の苦痛が感じ取れました。

10日前に会った時には、『帰るんだ!絶対に帰れる!』と頑張っていたのに、残念でなりません。

もう福島には戻れないと思うので、これから両親と一緒に生活して行く事になりました。
原発の近くにお墓がある場合、納骨はどこにしたらよいのでしょう。。。

by sakkt | 2011-04-19 23:07 | 家族


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